行雲流水

エッセイ

お祝いとプレゼント

頑張った自分へのねぎらいとして、欲しい物を自分に買ってあげる行為がある。「自分へのご褒美」である。自分の懐からお金を出しているにもかかわらず、何がご褒美か。他人にお金を払ってもらってこそ、「ご褒美」ではないだろうか。私にはわからない。

家族間でのプレゼントもこれに近い感覚がある。クレジットカードで妻にプレゼントを贈れば、後日、通帳からその代金が引き落とされる。これでは、お金を管理する妻が払ったのと同義である。自分自身や親族間でのご褒美やプレゼントに意味を見出だせていない私だが、節目による「お祝い」にだけには意味を見出してはいる。

 

18歳の誕生日当日。成人した暁として何か祝いたいと思い立ち、AVを借りることにした。今までは背徳感を覚えながらこっそり18禁の暖簾をくぐり、指を咥えながら眺めていたAV。だが、もうそんな後ろめたさを感じなくてよいのだ。私は大人になったのだから。
TSUTAYAに行き、一直線にアダルトコーナーへ向かう。肩で暖簾を切ってその先にある多種多様のAVを心ゆくまで吟味した。この瞬間、私は18歳になったのだと実感する。感無量である。先走る息子をなだめながら、祝いの一興を託す5本を選び抜いた。
AV5本を胸に抱え、レジに並ぶ。ここのレジは、「みどりの窓口」と同じで、お客は一列に並び、空いたレジから順に入っていく方式だ。つまり、お客にレジを選ぶ権利はない。はじめてのAVレンタル、できれば男性のレジ員がよいのだが、これも大人の階段の一段だと思い、女性のレジ員が当たることも覚悟した。
自分の順番が来た。レジに進むとそこには同級生(女性)がいた。私の会員カードを見て、ちらっと私に目を移す。「こいつ、誕生日にAV借りに来てやがるよ」。そう思われたに違いない。なんたる汚点。なんたる恥辱。恥ずかしさの余り、その場にうずくまりたい気分だったが、なんとか平静を装ったままAVを入れた青い袋を受け取ることができた。

その夜の一興は少し淋しかった。

 

ネットの普及により、レンタルビデオ屋に足を運ぶ機会が減った現代。子供の頃からレンタルビデオに親しんできた私の目から見て、個人のビデオ店にはネット以前にもう一つ大きな荒波があったように思う。大型レンタルビデオ店の台頭である。TSUTAYAがまさにそれだ。
大型レンタルビデオ店にお客を奪われた小さなビデオ店はばたばたと潰れていった。子供の頃に仮面ライダーやウルトラマンのビデオを借りていた思い出のお店も、気づいた時にはその姿はもうなかった。
潰れたビデオ店のビデオを二束三文で買い取ったのだろうか、近所のホームセンターでビデオが安値で売られていた。どれも見覚えがあるビデオだ。そう、私が通っていたビデオ店のものだ。


弟の誕生日、ホームセンターで安くなったAVを買ってプレゼントしようと友人を誘った。AVの料金は友人と折半することで合意。だが、問題は誰がレジに持っていき、ラッピングをお願いするかだ。「それだけは絶対にヤダ」と互いに拒否。結局、世界一公平なじゃんけんで決めることにした。私は勝った。負けた友人は「マジかよ~~」と弱々しく叫び、頭を抱えながらその場にふさぎ込む。高みの見物を決め込める私にとっては、その困りっぷりも美味である。
私はレジ近くの出入り口で、会計の一部始終を眺めることにした。支払を済ませた友人は、ビニール袋にAVを入れるレジ員のおばちゃんに、バツの悪そうな顔をしながら「プレゼントなのでラッピングしてください」と伝えた。この一言を絞り出すのに、どれだけの勇気がいることだろうか。友人が勇者に見えたのと同時に、私は腹を抱えて笑った。
ラッピングのお願いを聞いたレジ員のおばちゃんは「はぁ~~?」の表情。首を傾げながらAVを包装していった。
会計を後にした友人は、「こんな恥ずかしい思いをしたのは初めてだ」と語った。そりゃそうだろう。自分には到底できないと、友人の勇気を讃えた。
こんなにも恥ずかしい思いをして買ったプレゼントだ。きっと弟は喜んでくれるに違いない。急いで家に戻り、弟の部屋に飛び込んだ。
「大変な思いをして、誕生日プレゼントを買ってきたぞ」
息を切らしながら私と友人は、ピンク色の紙にラッピングされたAVを手渡した。
「どうせAVだろ」と開封する前に看破される。「えっ、何で分かったの?」といった表情を友人と二人で浮かべていたら「お前らが考えそうなことだわ」と言われる。