行雲流水

エッセイ

ニンテンドークラシックミニ

大人に行きつけのbarがあるように、子どもにも行きつけのおもちゃ屋がある。私が小学生の頃、月に4回以上通ったおもちゃ屋ポニーがそれだった。

店前にはカードガチャ4台があり、店内に入ればゲームソフト、プラモデル、ミニ四駆、ラジコンが山積みされていた。童心を捉えるには十分の品揃えだった。おもちゃ屋ポニーで一体何百回のガンダムカードガチャを回しただろうか。一体何十本のゲームソフトを買ったのだろうか。ポニーには、数え切れな思い出がある。

当時は、ファミコンスーパーファミコン全盛期であり、おもちゃ屋ポニーでも売れ筋の商品群だったに違いない。中央にあるカウンターには何本ものゲームソフトが飾られ、ガラスケースの中にも何十本と並んでいた。ワクワクしながらガラスケースを覗いていたのを、昨日のことのように覚えている。

時は流れ、私は中学生になった。時代もまたスーパーファミコンからプレステに移行していた。おもちゃ屋ポニーは時代の波に逆らうかのように、頑なにファミコン&スーパーファミコンのソフトを販売していた。まるで「子どもが遊ぶべきゲームはファミコンだ!」と言わんばかりに。考えてみれば、ポニーは幼児~小学生向きのおもちゃがメインだったようにも思う。経営が芳しくなかったのだろうか、年々、店主(ポニーのおっちゃんと読んでいた)の顔から笑みが薄くなっていったかのように思えた。

中学2年のとき、下校途中、友達とポニーに立ち寄った。店内の一角にある文房具を見ていたら、店主の鋭い視線を感じた。いぶかしげな表情で注意深く私たちのほうを見ている。はじめは何でなのか分からなかったが、表情を見ているうちに、「あぁ、万引きを疑われているんだな」と悟った。確か、万引きによる苦情が学校に来ていると先生から聞かされたことがある。きっと、ポニーのおっちゃんも被害に遭っているのだろう。だけど、小学生の頃から馴染みの自分まで疑われたことは、当時の私にとっては軽くショックだった。それから足が遠のき、もうお店に入ることはほとんどなかった。

それから10年後、おもちゃ屋ポニーの前を車で通ることがあった。建物は原形のままだったが、ポニーは潰れていた。「○○会社」の看板が掲げられ、別の会社になっていたのだ。そうか、潰れたのか。もう、お店に入っても、時代遅れのゲームソフトやプラモデルを見ることもないのか。カードガチャも回せないのか。もう行くことはないとはいえ、思い出が一つ消えた事実は、心にほんの少し穴が空いた感じがした。

ニンテンドークラシックミニを子どもと一緒に遊んでいるよーー」。
最近、片手に乗るファミコン任天堂からリリースされた。童心に還り昔のソフトで遊ぶ人、子どもと一緒に無邪気に遊ぶ昔の子たち。そんな和やかな写真がFacebookから流れてきた。そんな様子を見ながらつぶやいた。「ポニーのおっちゃん、見ているかい。ファミコンがまた流行っているよ」。