行雲流水

エッセイ

舌は肥えたが、飯は旨い

 

こぢんまりとした居酒屋が好きだ。若干小汚いぐらいが丁度いい。

私が居酒屋好きになったのは、全国を一緒に飛び回ったKさんの影響だ。Kさんは当時30代後半だったかな。見るからに飲んだくれのおっさんだった。彼とは全国津々浦々、全都道府県を3周はしたと思う。

行く先々の夜、Kさんは必ず居酒屋に入りお酒で疲れを癒やしていた。初めての土地なのにもかかわらず、なぜかKさんの足は必ず居酒屋を探し当てる。本能的に居酒屋がどこにあるのかわかっているかのようだった。

そんな彼に付きそう形で私も一緒に飯を食べた。ビールに枝豆、刺し身に日本酒、最後はおでんに熱燗が最高だった。気がつくと私もすっかり飲んだくれになっていた。今でも居酒屋に入るたびに「Kさんといつも一緒に飲んでいたよな」としみじみ思い出す。


そんなKさんはもういない。野グソをしている最中に心臓付近の血管が切れたらしく、そのまま帰らぬ人となった。彼らしい死に方だった。

Kさんとの長い旅路で、私の舌と感性はすっかり庶民のそれになっていた。赤提灯と汚れた机と椅子、部下に説教を垂れる上司、充満する炭とタバコの臭い。今や、すべてが私にとって飯の旨さとなっている。





私の父は、東京の一流ホテルや高級レストランを頻繁に利用していた。そのおかげもあって、父は私にいろいろな体験をさせてくれた。回らないお寿司に高級フレンチ、同席した妻なんて、料理を一口食べて感涙する始末だった。ああそれと、美女ばかりいるクラブにも何度か連れて行ってもらい、浴びるほど酒を飲んだ。

こうした綺羅びやかな体験をさせてもらいながら、いつも感じていたのは「ここじゃないな」だった。人のおごりだからありがたく頂戴するけど、自分のお金ならこれはしないなといつも思っていた。いくらお金持ちになったとしても。

本当は父も一流のそれらにそこまで興味はなかったと思う。近場の『丸亀うどん店』の閉店を知り、肩を落としていた父が本当の姿なのだ。経営者という立場上、また若い愛人の手前上、見栄を張らなくてはいけなかったんだろう。私がお呼ばれする時も大抵は愛人付きだったし。じゃ、父は一流のそれらが嫌いだったかと言えば、そうでもない。いいカッコできた時は大変に上機嫌だった。料理も旨かったに違いない。

そんな父ももういない。二年前になくなって以来、当たり前だけど声も聞いていない。未だ私の人生の中に小さな穴が空いている。





女性の友人から大好評の、私が妻と結婚してもいいなと思ったエピソードがある。
私と妻(当時は彼女)は大阪リッツ・カールトンホテルで3泊4日し、それなりの贅沢をした。チェックアウトをした後、すぐに立ち寄ったのは「吉野家の牛丼」だった。

私はそこら辺の高級レストランよりも牛丼のほうが美味しいと思っている人間なので、普通に美味しく食した。さて、妻はどうだろうか。さっきまで一流と言われる料理を食べていたのだ。いきなり牛丼を出されてムッとしているだろうか。

普通に美味しそうに食べていた。それを見て、「(結婚しても)あぁ大丈夫だな」と思ったのだ。

今でも妻から唯一褒められるのは、好き嫌いがなくて何でも美味しそう食べるところだ。誰からもマナーを教えてもらえなかったけど、旨い食べ方だけは教えてもらった気がする。