行雲流水

エッセイ

後何回できるのだろうか

「あと何回、桜を見れるかね」
年齢を重ねると、過ぎゆく季節が貴重に思えてくるという。

若い時はピンとこない。私もピンとこなかった。だけど、今なら何となく分かる気がする。残りが見えた時、先が見えた時、当たり前にあるものがいかに大切で貴重なものだったのかが見えてくる。

人生100年時代から見たら、私の年齢の38歳はまだ折り返し地点に差し掛かってもいない。だが、天寿を全うする前に事切れるものもある。
オカズを吟味するようになった。

若い頃は、3発4発は当たり前だったのが、今が1発、やっとこさ2発が限界だ。このままでは50代で怪しくなると悟った私は、オカズを真剣に選ぶようになった。数分、多い時は20分ぐらいかけている。残りあと何回できるのかと考えたら、一発一発が貴重に思えてきたのだ。

年齢を重ねるほど大切なものが見えてくる、そして、愛おしむようになるものなのだ。