行雲流水

エッセイ

加齢臭

「自分は無宗教」と思っている日本人は多い。それは誤解である。日本は世界一の宗教大国であり、誰もが宗教心を持っている。日本人の生活の中には、様々な宗教慣習や風習、そして言葉が溶け込んでおり、知らず知らずのうちに宗教心が養われているのだ。日本の犯罪率が低く、マナーがよいのはそのためだ。

宗教の完成形は、生活と宗教の一体化にある。切り分けているうちは、真の意味で宗教心が浸透しているとは言えない。敬虔な宗教家が多い国でも犯罪率が高いのは、生活と宗教を切り分けているからだ。宗教が生活に溶け込み一体となったとき、意識しなくても宗教心が心身に宿るのである。日本人の「自分は無宗教」という無自覚さは、それだけ生活の中に溶け込んでいる証でもあるのだ。このことは、世界に誇ってもいいと私は思っている。

新幹線に乗車した時の話である。指定席に座った瞬間、鼻を突く嫌な臭いがしてきた。はじめは何の臭いなのか、臭いのもとはどこなのかと探してみたが分からなかった。10分して気づいた。私の隣に座っている男性の加齢臭であることに。さぁ、これは困った。自由席なら席を移動すればいいが、指定席の場合はそうもいかない。停車駅に止まるたび、「ここで降りろ! ここで降りろ!!」と神に祈った。神は無慈悲だった。結局男は、終点(東京)まで降りることはなかった。そして男は無自覚だった。嘔吐寸前に追い詰められた私の存在に。

加齢臭は、本人には分からないらしい。日々の生活の中に溶け込んでいるため、臭いに気がつかないのだ。生活と一体となり無自覚になるのも考えものである。