行雲流水

エッセイ

万人が魅入ってしまうもの

証明写真機のカーテンを100枚盗んだとして69歳の男性が逮捕された。私はこのニュースを見た時、可笑しさと悲しさが入れ混じった気持ちになった。この男性は一体何を思ってカーテンを収集していたのだろうか。盗んだカーテン100枚を眺めながら、悦に入っていたのだろうか。

私が4~6歳の頃、ビックリマンチョコのおまけで付いてきたシールを集めていた。1枚30円、弟と二人で一度に5枚~10枚を購入し、最終的には1,000枚収集した。シールはアタッシュケースにすべて入れ、シールでいっぱいになったケースを見ては、一人悦に入っていたものだった。

そもそも、収集する物が何になるかは“偶然”に等しい。「なぜそれを収集しているの?」と問われても、論理的な回答はできない。「ただなんとなく見ていると気持ちいいから」としか答えられない。その気持ちいい物が私の場合、たまたま「ビックリマンシール」になっただけである。

カーテンを盗んだ男性は不幸なことに、「証明写真機のカーテン」に魅入ってしまったのかもしれない。もしそうだとすれば、犯罪なのだけれども、何とも可哀想な気もしてくる。

何を収集するかは偶然だと述べた。だが、一つだけ例外がある。それは「お金」である。万人が時間と労力を惜しまず、必死になって集めている。通帳の数字を見ては、悦に入っている人はどれぐらいいるのだろうか。私も悦に入りたい。