行雲流水

エッセイ

いっぱいいっぱい

漫画『はじめの一歩』でのベストマッチは何かと問われれば、私は「間柴VS木村」と答える。間柴のフリッカージャブを7Rまで耐えしのぎ、間柴の意識をボディーに向けさせた木村だ。そして迎える8R、意識がボディーに向いている間柴の顔面に木村は強烈なドラゴンフィッシュブローをぶつける。死角から放たれたパンチに、強靭な精神を持つ間柴も恐怖した。だが、あと数センチ及ばず。木村はリングの上で立ったまま気絶してしまったのだ。木村は試合後、「何で、これっぽっちの差を埋められなかったんだ」と悔し涙を流す。たった数センチの差が天国と地獄を分けたのだった。

ある日、スーパーの駐車場に車を留めて運転席から降りた直後、私の名を呼ぶ声が聞こえてきた。振り返ると、1か月前に女の子を囲んで一緒に遊んだ友人がニコニコしながらこっちに向かってきていた。友人のあだ名はゾマホン。やたらとテンション高くしゃべるところから、その名がつけられた。

「たかちゃん、俺、この間一緒に遊んだA子ちゃんと付き合うことになったんだよ」

「あぁ、そうなんだ。おめでとう」

「それでさー、先週、その子とエッチしたんだよね」

「へぇ~、よかったじゃん」

「それがよくねーんだよ!!!」
友人はいきなり大声で否定してきた。

あっけに取られている私を余所に、友人は話を続けた。

「エッチの時、なんて言われたと思う。『もっと奥まで挿れて~~』って言われたんだぜ。これ限界だから。いっぱいいっぱいだから。ほんとマジで最悪。とにかく、そういうことだから。じゃーな」

鬱憤を吐き捨てるように一部始終話した後、友人は勝手に帰っていった。

人生とは、ほんの数センチの差が雲泥の違いをもたらすものなのかもしれない。