行雲流水

エッセイ

軽蔑

シンガポール初日の朝。ホテルの玄関前で送迎の車を待つ。約束の時間になると、一人の男性が駆け寄り、「深井さんですか。通訳のHです。今日はよろしくお願いします。車はこちらです」と言い、車まで案内される。後部座席に座ると通訳が運転手に何かを言った。車が動き出したので、出発の旨を伝えたのだろう。

走り出して数分後、私はすぐに違和感を覚えた。運転手の運転が下手クソなのである。アクセルの踏み方が明らかにおかしい。いきなり踏み込んだと思ったら緩くなり、また踏み込むといった具合に抑揚がありすぎるのだ。

さすがにこれはないなと思い、通訳にこう伝えた。「運転手、運転下手だから、気をつけるように言って。俺が言ったって言うなよ」と。通訳は困惑した顔を浮かべたが、生唾と一緒にそれを飲み込み、運転手に話しかけた。たぶん、指示通り伝えたと思う。通訳の言葉から「he」もなければ「FUKAI」が出なかったし、運転手も「ソーリー」と言ったから。

数分後、何であの時、一瞬困惑した顔を浮かべたのか聞いてみた。すると通訳は、「この運転手は、◯◯大学の副学長かつ教授をしていた偉い方なんです。だから、仕事で運転手をしているんではなく、深井さんを迎えにいくために運転をしてくれているんです」と教えてくれた。

それを早く言えバカ。私は慌てて通訳にこう言った。「いいか、こう伝えろ。『先程は通訳が何やら変な気を回して失礼なことを言ったようですみません。別段気になさらないでください』とな」

通訳は先ほどよりもひどい困惑した顔を浮かべ、今度は大きなため息をした後に運転手に話しかけた。たぶん、指示通り伝えたと思う。通訳の言葉から「FUKAI」が出てきたからだ。

伝えた終えた後、通訳が一瞬私を見た。軽蔑の眼差しだった。