行雲流水

エッセイ

とんかつ定食

「昨夜未明、○○市○○町の民家で殺人強盗事件がありました」。
TVから流れてくる暗いニュースを、いきつけの定食屋でとんかつ定食を食べながら見ていた。この店は古びたシャッター街にある定食屋だが、もうかれこれ20年以上通い続けている。

「まったく、最近は暗いニュースばかりだね。○○町っつったら、隣町じゃないか」。店主は眉間にしわを寄せながら俺に話しかけてきた。「ええ、本当、最近は物騒ですよ」。俺は定食を食べながら相槌を打った。店主は俺が定食を食べている事などお構いなしに「犯人はすぐ捕まると思うかい?」と尋ねてきた。俺は口に含んでいたものをひと飲みしてから、「ええ、どうせすぐ捕まるでしょ。強盗殺人なんて、当分、刑務所から出て来れませんよ」と返した。「じゃ、犯人は当分、ブタ箱の臭い飯を食うってわけだ」「そうですね。シャバにはこんなに美味いとんかつ定食があるって言うのに、犯罪をするなんてもったいないですよ」「へえ、嬉しいこと言ってくれるね。もし、もしさ、自分が犯人だとして、捕まる前に好きな物を食べられるとしたら、何食う?」。店主はカウンターから身を乗り出しながら聞いてきた。俺は店主の目を見て答えた。「ここのとんかつ定食です」「またまた~、何も出ないよ、そんなこと言っても」「本当ですよ。俺、絶対、ここのとんかつ定食を食べに来ますよ。誓ってもいい。だって、こんなに美味いとんかつ定食は他にありませんからね」「そうかい、あんがとよ」。店主は照れているのか、顔をそらしながらそう言った。

店の前では、赤いランプが点灯している。パトカーの灯りだ。ガラガラとドアを開け、警察が入って来た。「理由は分かっているな。強盗殺人容疑で逮捕する」。警察の声が店内に響いた。手錠をかけられ連行されていく。「店主、とんかつ定食、美味しかったです。また、食べに来ますからね。必ず、食べに来ますからね」。俺はそう言い、連行される店主を見送った。店主は、涙を流しながら頷いていた。
一人の警察官が俺に近づいてきて敬礼をした。「お疲れ様でした。警部」。俺は「ああ、後はよろしく頼む」とだけ言った。