行雲流水

エッセイ

大和撫子はもういないのか

近所のコンビニに立ち寄り、いつものように週刊誌を立ち読みする。
週刊誌をめくると、今時では珍しい、初々しく汚れを知らなそうな顔をしたグラビアアイドルが載っていた。ほっとした。大和撫子がまだいたのだと。自分勝手な安堵を胸にコンビニを後にする。

その足でTSUTAYAに立ち寄り、いつものようにアダルトコーナーのDVDパッケージを眺める。ここはサンクチュアリか、それとも楽園か。心は癒され、身体から力が溢れてくる。

それにしても、今時のAV女優は美人ばかりで驚く。単体物、企画物どれも美人ばかりだ。一体、毎月何百人の美人がAVに出演しているのだろう。街ですれ違う美人たちは皆、AVに出ているのではないかと思えてくる。そんな錯覚や誤解を覚えてしまうほど、最近のAV女優はレベルが高い。続々とリリースされるDVDを見ていると、大和撫子はもういないのだと思えてくる。

だが、今日は違う。今日の私は違う。
絶滅危惧種ではあるが、先ほどコンビニでしかとこの目で大和撫子を見届けてきたばかりなのだ。自分勝手な安堵を胸にパッケージを見て周った。すると、見覚えのある顔が。

あぁ、先のグラビアアイドルだ。いや、グラビアアイドルではなく、AV女優だったのだ。私が勝手にグラビアアイドルだと思い込んでいただけだ。裏表紙の写真では、汚れを知らないと思っていた女の子が無惨にそしていやらしく汚されていた。現実世界が足下からガタガタと崩れ落ちていく。

大和撫子はもういないのだ。こんな初々しい顔をした女の子までAVに出るなんて。私はもう何も信じない、信じたくない。私は行き場のない憤りを胸に、そして、DVDを片手にレジへと向かった。