行雲流水

エッセイ

スポーツチームを応援できないワケ

広島に住んでいながらこんなこと言うのもなんなんだが、私は特定のスポーツチームを応援したことがない。ただ、特定の監督を応援したことだけはある。私の場合、それは星野仙一監督だった。監督の試合運びが好きで、一時期ファンをしていた。その流れで、監督が中日に行けば中日を、阪神に行けば阪神を応援した。だが、先にも書いたように、私が真に応援していたのは監督であって、チームではない。だから、監督が辞めた時、どこも応援しなくなった。

私がスポーツチームを応援しない(できない)大きな理由の一つは、チームメイトが毎年入れ替わる点にある。野球なら、5年もすれば半数以上が入れ替わる。私的には、“同じチーム”として見ることができない。今年応援していたチームが来年3人入れ変われば、入れ変わった分だけ違うチームにしまうからだ。

スポーツに限った話ではない。私は、デビュー当時の「モーニング娘。」が好きだったが、メンバーが追加された時点で別グループに見えてしまい、ファンを続ける気が起きなくなった。

ある時、とある野球チームを応援する知人に尋ねたことがある。「チーム全員が入れ替わっても同じ球団を応援するの? 同じ球団と言えるの?」と。知人は困惑した顔を浮かべましたが、「応援するし、○○は○○」と答えた。私には理解できない。


話は少し変わる。
とある文献を読んでいたら、どうやら人間の細胞は約3ヶ月でほぼ入れ替わるそうだ。つまり、細胞レベルで言えば、3ヶ月前の自分と今の自分は全くの別人というわけだ。だからといって、3か月前に借金をして、その後取り立てに来た人に、「今と3か月前の自分は別人ですから」と返済を断っても通用しない。これが通用しないのは、人格や顔、姿かたちが変わっていないからだ。そのため、3か月前の自分と今の自分は、同一人物としてみなされるわけである。もし宇宙人がいたとして、人間とは違った“認識”をしているのなら、3か月前の人間と今の人間を別人として見るのかもしれない。

何だか、見えてきた。
チームメイトが入れ替わっても、同じチームを応援できるのは、細胞の話のように、“同じもの(チーム)”として認識できているからなのだろう。私は感性が鈍いのかズレているのか、どうやら同じものとして見る(認識)ことが出来ていないようだ。

あと、私は本当に地球人なのだろうか?