行雲流水

エッセイ

『法を守る国』

※旅人たか子と相棒エルメス(バイク)が立ち寄ったある国の話である。

 

入国してから20分走り続けると、見渡しのいい道にポツンと一店の喫茶店が見えた。

 

エルメス、あそこで少し休憩していかないかい」

 

「いいね。どうやらこの国は、入国門から街までの道のりが長そうだしね」

 

エルメスを喫茶店の窓の外に停め、たか子は窓側の席についた。紅茶を注文し、エルメスと会話を楽しみながら景色を眺める。

 

ふと、たか子の目に不思議な光景が止まった。一人の老女が信号機の前で止まったまま動こうとしないのだ。信号が青に変わり、ようやく道を渡り始めた。たか子が気づいてから、5分後のことだった。

 

「この国のお年寄りは、こんなにも見渡しがよくて、明らかに車が来ないと分かっていても、交通ルールを守っているんだね」と感心しながら言った。

 

「立派だね」とエルメス

 

「年寄だけではないですぞ。この国では、子供から大人までどんな小さな法でも守っています。この国では、法を守ることが最も尊きことであり正義なのです」
同じ喫茶店にいた、この国の者らしき男が話しかけて来た。

 

「そうなんですか。では、さぞかし犯罪率も低いのでしょうね。」

 

「ええ、そうですとも。犯罪率は極めて低いです」

 

「それなら、旅人も安心して滞在できる」とたか子は嬉しそうにこたえた。

 

「ええ、犯罪に巻き込まれることはないでしょう。我が国がどれだけ法を厳守する国か、良く分かる話を一つお聞かせしましょう」

 

「はい、ぜひ聞かせください」

 

「先ほどと同じように、横断歩道の信号が変わるのを待っていた青年がいました。そこは、ここと違い、あまり見通りのいいところではなく、横断歩道の手前はカーブになっていました。信号が青に変わる直前、盲目の女性が横断歩道を渡ってきたのです。青年はルールを犯して助けようと思えば助けられました。しかし、男性はルールを守り、助けには出なかったのです。」

 

「それで、その盲目の女性は、どうなったんですか?」

 

「幸い、車にひかれて亡くなりました」

 

「車にひかれ、しかも亡くなったのに、何で『幸い』なんですか?」

 

「法を犯したからです。法を守る者は絶対的正義であり、破る者は絶対的悪なのです」

 

「なるほど」

 

「そしてその青年は、人命よりも法を重んじたことを名誉ある行動として、国からも表彰されたのです」

 

「わかりました。確かにこの国にいれば安全そうですね。大変面白いお話をありがとうございます。」

 

礼を言い、席を立ってお店を出る。たか子はそのままエルメスに跨りエンジンをかけて走り出した。

 

「ねぇたか子、さっきの話、なんだか面白かったね。法は、人の命や社会の秩序を守るための手段なのに、目的になってやんの」

 

「本当に盲目なのは、この国の人たちなのかもね。正しさをすべてを法に委ねてしまっているから、自分で何が正しいかを考えられなくなっているんだよ。でもまぁ、そのお陰で犯罪率は低いんだろうけどね」