行雲流水

エッセイ

母の姿

「死ぬのが怖い。夜、病室に一人になるのが怖いから、誰か一緒にいてほしい」。そう懇願したのは、余命いくばくもない母方の祖母だった。

あんなに気丈だった祖母が弱々しくなっている。私と弟は同情して、慰める言葉をいくつかかけた。だが、母だけは違った。

「何言っているの。死ぬ時は誰でも一人なの。誰にも迷惑をかけずに死になさい」と祖母を叱責する。

それを聞いた弟は怒った。
「何言ってんだよ。おばあちゃんがこんなに淋しそうにしているのに、それでも人間かよ」

祖母のほうを向き、「俺がいてやろうか、ばあちゃん」と優しく問いかける弟。祖母は「ありがとう、ありがとう」と涙を流す。

それをさえ切るかのように、「何言っているの、やめなさい。おかあさん、いい加減にして頂戴。醜態をさらさず、死になさいよ」とさらに祖母を叱咤する。

「恐い怖い。死ぬのが怖い」
祖母は小さくなってそう呟いた。

私と弟は、また来る約束をして病室を後にした。祖母を見るのがこれが最後となった。

どうやら母は、後日、母の妹と一緒に見舞いに来たときも同様の言葉を祖母に浴びせたらしく、母と妹は葬式後から絶縁状態となった。あまりにも酷いということで。

私は、母の気持ちが理解できる。
実は、母と祖母は、とある宗教の熱心な信者だ。この宗教の教えに則れば、死は恐れるものではない。現に母は、死を恐れずに行動したことが幾度かあった。そんな母は、祖母の背中を見て育ったのだ。

しかし、祖母は死をまじかにした時、死に恐怖した。たぶん、それが見ていられなかったのだ。同じ信仰をしていた祖母が死を恐れる姿を。

私は母に言った。
「もし、かあちゃんが同じように死が近づいて、死を恐れたら、ばあちゃんに言ったことをそのまま言ってやるよ」と。

母は「そんな必要はない」とだけ言った。