行雲流水

エッセイ

最終電車で起きた、人間ドラマ

広島駅の最終電車車両内で出発を待っている時のことだった。出発まで5分少々ある。その間、ドラマが起きた。

車内トイレに、一人のおじさんが入った。数秒後、おじさんが入ったことを知らずに、若い男性もトイレに入ろうとした。若い男はガチャガチャと音を立ててドアを引いてみるが、鍵がかかっている。ノックをすると、中からおじさんがノックを返してきた。若い男は駅内のトイレに向かったのだろう、急ぎ足で電車を降りていった。

若い男性と入れ替わるように、一人のサラリーマンが入ってきた。そのサラリーマンもトイレのドアをガチャガチャと引き、ノックをする。すると中からおじさんが出てきて、サラリーマンを怒鳴りつけた。「お前、さっきからしつこいんじゃ!!」。サラリーマンは、面喰っている。そこまで言われる謂れはないとした態度でサラリーマンも応戦した。

どちらかが車両を移ればいいものを、どちらも意地を張って、車両を移らない。口論は収まる気配はない。もしこのままエスカレートするようなことがあれば、唯一、一部始終見ていた私が誤解を解こうかと思った。

終電車の出発直前、最初にドアをノックした若い男が戻ってきた。出発後も口論を続ける二人を見て、「大人げない奴らだな。なにトイレのことで喧嘩しているんだよww」という目で蔑んでいた。
私は心の中で「いやいやいや。あなたもだから。あなたも原因だから!」と突っ込んだ。とはいえ、この状況では誤解を解きづらくなった。
私がいきなり、「違うんです。誤解なんです。最初にノックしたのはこの人なんです!」と、若い男を指せば、話が余計ややこしくなる。私の取った行動は、〝温かく見守る“だった。

広島駅から矢野駅(時間にして15分)まで睨み合いと口論は続いた。偶然とは恐ろしいもので、二人とも降りる駅が同じだったのだ。その後、どうなったかは知らない。

終電車。そこは人間たちのドラマが溢れている場所である。